ぴょこのあしあと

不死鳥ぴょこの足跡

『想像力』と『創造力』

振り返ってみると、物心ついた時から絵や工作が好きだった。

 

幼稚園での思い出は

運動会でも、友達と遊んだ記憶でもなく

ただ1人黙々と工作している記憶ばかりだ。

 

折り紙を折って、切って、紙に貼る。

開かれた時にどうなるのか考えながら切るのが楽しかった。

 

作品展のために紙粘土で『鬼』をつくる。

みんなが赤鬼、青鬼ばかりでつまらないと思ったので、自分は黄色にした。

海賊モチーフを取り入れて肩に鳥を乗せたりした。

 

おえかき教室では、先生が途中まで描いた絵に付け足して、絵を完成させる回があった。

先生は描きかけの信号機や車を描いた。

このまま完成させても『先生が描かせたいもの』になってしまうと思って、信号機を首長竜の頭に見立てて、車の車体はトリケラトプスの背中になった。

先生は呆れていたと思うが、自分は満足だった。

 

小学校に上がる頃、両親はLEGOブロックを、デパートに勤めていたおばあちゃんはときどきプラモデルを買ってきてくれた。

まだ当時の自分には難しかったけど、一生懸命作った。

 

ある時、児童館でプラ板工作のイベントに参加した。

今思えば、それがプラ板工作との出会いだった。

その時何を描いたかは忘れたけど、自分の作ったものがキーホルダーになったことがとても嬉しかったことを覚えている。

 

小学校高学年くらいになると、ゲームを始めたり、野球部に入ったりと工作以外に費やす時間が増えた。

それと、なんとなく絵を描いたり、プラモデルをつくるのが『ダサい』と感じていた気がする。

 

それでも、授業中にプリントにラクガキしたり、練り消しをこねて怪獣を作ったりしていた。

創作の熱は弱くはなっていたけど、たしかにそこにあった。

 

中学校1年の時に、入院することがあった。

友達がお見舞いにプラモデルを持ってきてくれた。

ひさしぶりにプラモデルを作って、創作の炎が再び燃えてきた。

 

そこから本格的にプラモデルを始めた。

プラモデルのアイデアを整理するために、絵も勉強した。

紆余曲折あり、今は『ハンドメイド』という形でプラ板との再開も果たした。

 

今にして思えば、

ものづくりに対する情熱や

『想像力』『創造力』は物心ついた時からずっとあった。

 

そのチカラに今再び対面している。

このチカラで今度は世界と向き合いたい。

 

『想像力』と『創造力』でより良い世界を創る。

 

それが自分の使命であり、願いだと思う。