僕は『成長』について勘違いしていたのかもしれない
『成長』という言葉が嫌いだった。
「〇〇すれば成長できるよ!」とか「成長するためには努力しなきゃ!」とか、うんざりする(ちなみに『努力』という言葉も嫌いだ)。
なぜ『成長』という言葉が嫌いだったのか。
今やっとわかり始めた。
『成長』とは『目的』ではなく『結果』である
『成長するために〇〇する』というのも間違いではないのだろう。
だが、『成長』とは本来『目的』ではなく『結果』であるべきなのだ。
紆余曲折、さまざまなことを経験してきた『結果』。
やりたいと思ったことにチャレンジした『結果』として『成長』がある。
何のために、何故という問いをクリアしないまま、ただ『成長』のために『努力』するというのは、文字通り『無駄な努力』である。
『成長』が『結果』であると理解した今『成長』という言葉に対する抵抗が減ってきた。
自分が『成長』することが楽しみになってきた。
『目的』と『手段』を取り違えない
得たい『目的』があり、そのための『手段=努力』をし『結果=成長』する。
そこを取り違えることは往々にしてある。
何のためにお金を稼ぎたいのか。
何のために働くのか。
何のために痩せたいのか。
何のためにブログを書くのか。
何のために生きるのか。
行き詰まった時は、そう自問し、本来の『目的』を思い出すことが必要だ。
…『努力』という言葉が嫌いな理由?
それは…また次の機会に。